「アイム・ノット・イン・ラヴ」第二章

間があきましたが、先日の続きです。第一章は9日の日記からどうぞ。


話が前後しますが(後で思い出しました)、彼女が応援団の彼に惚れてたことを知ったのは、もうちょい後のことでした。時系列で整理するとこうなります。


高2 5月 文化祭の映画撮影で彼女と出会う。一目ぼれ
   9月 生徒会役員に推され、体育部幹事長就任へ
      副幹事長に彼女を推薦、文化部幹事長には親友Tを引っ張り込む
      就任直後、Tに彼女のことを告白すると、Tが彼女の話を暴露、超落ち込む
高3 4月 クラス替えで初の男女混合クラスに、しかも彼女も同じクラス 


つまり、私としては、彼女を副幹事長に取り込むことができてウハウハのウッキー状態になった直後(今思えばほんの数日の幸せだった)に親友Tから冷や水をぶっかけられたわけです。


彼女を生徒会に引っ張り込んだ以上、この時点であきらめることすらできなくなり(それどころか一緒に仕事をすることで余計にメロメロのウシウシ状態に)、バラ色にするはずの生徒会の1年間が、恍惚と苦悩(Pleasure and Pain)の1年間になったのです。
いやはや、本当に青春でしたね。


彼女としては、応援団の彼を忘れようともしていたようですが、私がそうであるように、そう簡単に割り切れるものではなかったでしょう。ともあれ、生徒会、そして同じクラスと、私の思いはますます深みにはまるのでした。


はっきりいうと、私と彼女の間は、仲が良かったです。後に私が大学受験の前(彼女は音大に推薦で見事合格)、彼女からお守りをもらったくらい。「自分に気がある」なんて勘違いはまったくしませんでしたが(相手が応援団のいい男だったために、むしろ劣等感を感じていました)、単なる男友達の一人という感じの関係ではありませんでした。


さて、やっと本題ですが(爆)、高3のクリスマスのときに私はお気に入りの洋楽を1本のテープにまとめ、彼女にさりげなくプレゼントしました。インデックスにきちんとレタリングを施し、選曲もいわゆるいい曲、印象に残る曲を考え抜いた(曲目は忘れた)ものでした。
でも今考えたら選曲が間違っていたんですね。


彼女から数日後、テープの感想がありました。


「私、『アイム・ノット・イン・ラヴ』って曲が好き」


そう、そのときのテープに10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」を入れてたんですね。ご存知のように、この曲は愛する気持ちを逆説的に「僕は君を愛してなんかいないよ、誤解しないで」と歌っているものです。
このときのテープに歌詞カードを入れておけば別ですが、私はそこまでしていません。もちろん彼女もヒアリングでそこまで理解できるわけもありません。つまり…


タイトルだけ見れば、それは私に対する拒絶なんですな(涙)。


複雑でしたねぇ(笑)。自分の好きなタイプの音楽を理解してくれた分にはいいんですが、ねじれた関係の私たちの間で、「アイム・ノット・イン・ラヴ」というフレーズは実に意味深長ですよ。もちろん彼女はただ自分の好きな曲を私に伝えただけだとは思うんですが。


まあもっとも「ウェイト・フォー・ミー」(ホール&オーツ)が好き、なんて言われたら、それはそれで迷いまくったでしょうが(爆)


さて、その後、私たちはどうなったかって?
卒業式の前の日、私は親友Tに彼女を呼び出してもらいました。その時点で彼女がまだ応援団の彼に気持ちが残っていたことも知っていました。しかしこのままただの友達で終わるには自分がかわいそう過ぎる。親友Tはそんな私の気持ちを慮ってか、電話でそれとなく話してくれたようです。Tによれば「あいつ、ほんとニブイぞ。ほとんどおまえの気持ちには気づいていなかったよ」とのこと。
当時、生徒会のメンバーはほとんど私の彼女への思いに気づいていました(それくらい態度も露骨だったと思われ)。知らぬは本人ばかりなり。。。


当日の放課後、彼女に思いっきり思いをぶちまけました。何話したのかほとんど覚えてません。でも気がついたらおたがい泣いてたような…。私としては告白すること自体が目的だったので、むなしさと安堵がありました。彼女はこう言ってくれました。


「つきあう対象として意識はしてなかったけれど、高校時代の中で、男子の中では一番の友達だったよ」


うれしかったですね。ほんとに(前半部が余計ですがね)。


卒業してすぐ、春休みに生徒会のメンバーでお別れ会をやりました。箱入り娘だった彼女は門限があって、今まで一度もこの手の会には出席しなかったのですが、このときは初めて参加しました。


みんなで食事の後、ボウリングに行く途中、告白したことを知っている回りのみんながはやしたてます。つきあってるわけでもないのに勘弁してくれ、人の傷口に塩擦り付けるな、と思っていたら、彼女が私の腕を取りました。


「最後だから、思い出作ろうか。今まで思ってくれてありがとう」


彼氏でもなんでもない私のことを思ってか、そういって腕を組んでくれたのです。うれしいやら恥ずかしいやら。。。


こうして甘い、そして苦い高校生活は終わりました。大学に入ってしばらく文通していましたが、相変わらずのせつない思いに、私がもう文通をやめることを一方的に宣言して終わりました。彼女はまた気持ちが整理できたら手紙をください、という最後の手紙を送ってくれました。
彼女はその後、ヨーロッパに留学し、数々の賞を受賞し、現在プロのクラシック・ピアニストとして活躍しています(結婚はまだなのかな?)。


以下は余談です。
親友Tは私が悶々とする高校生活を送る中、あっさりと彼女を作り(しかも生徒会の中で)、大学時代もしばらく付き合っておりました。彼女は京都大学を合格したにもかかわらず、Tが私と同じ九州大学に行く予定だった(結果として受験は失敗、翌年熊本大学へ)ため、京都大学を蹴って(実際はそういう理由ではないと思うが)九大の薬学部という秀才。
熊大時代は福岡まで原チャリで週1通うという根性を見せるも、いろいろあって分かれました。
それはそうと、この男、実は前に触れた卒業後の生徒会打ち上げでもやってくれました。私はその日、大学の入学式のために買った背広姿(このあたりが子供だな)で行ったんです。で、ボウリング場でTが気分が悪くなったらしく、私がTをトイレへ誘導しようとしたそのとき、


ゲロりやがったんですよ。私の背広はゲロまみれ。
それでも親友ですし、ゲロが赤い色だったので、血を吐いたんじゃないかと心配だったので、そのままトイレへ。「大丈夫か、こいつ」と思ったら、どうもおかしい。
友人の一人が、血を吐くときはこんな感じだ、みたいな話をしていて、どうもTにはその様子があてはまらない。
で、よくよく考えてみると…


こいつ、1次会でピザを大量に食ってたんですね。しかもトマトピザ。
そう、血のようにみえたあのゲロはトマトソースであり、ゲロの原因はピザの食いすぎですよ。
怒りというより笑いがでましたね。。。せっかく彼女が腕組んでくれていい気分だったのに。


そんなTも、そして私も別の伴侶を見つけ、結婚し、子供もいます。Tとはいまだに付き合いがありますが、もう10年近く会ってません。彼女も含め、あの頃の友人に会いたいなぁ。


というわけで長い長い話も終わりです。
次回からはいつも通りの簡潔なブログに戻りますんで、よろしくどうぞ。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。