知識は誰のために?

私事ですが、ちょっとグチります。でも会社の人間も一部見ているので、オブラートに包みまくりながら書きます(爆。
社内の某氏が、何かと経営理論の知識をネタに議論をそらしたり、主導権を握ろうとしたりしています。悪いけれども経営理論の知識なら、私はこの方よりも数段持ってますし、深い理解もしております。だからこの方の「知識」の薄さと意図的な(じゃなければもっと阿呆ですが)誤用をツッコもうと思えばできるわけですが、諸々の事情によりやりません(というか時間の無駄ですし)。
ただね、「知識」の使い方に関しては非常にアタマにきます。
本多勝一(この方を例に出すのは賛否両論あろうかと思いますが)が、「知識」を用心棒の「刀」に例えて、イザヤ・ベンダサン(=山本七平)の詭弁を粉砕したことがあります。
用心棒にとっての「刀」とは、知識人にとっての「知恵」であるとすれば、「刀」「知識」自体に罪はないことになります。問題はその「刀」を誰に向けて使うかです。強者・権力に向けて使うのか、それとも弱者に向け、保身のために使うのか。もうこれ以上は言いませんがね。
私は幸運にも、前の会社のお金でMBA経営学修士)を取らせてもらいました。そのときから、この知識や肩書きを、弱者のために使おうと考えていました。だから復職後も労働組合に入ったりもしました。それは今でも変わりません。ちょっとかじった知識をネタに、己の保身や部下の切捨てに使う人間を私は心底軽蔑します。そしてそういう人間にはとことん抵抗します。
あまりオブラートに包んでないなぁ(w。